【オークネット総合研究所 ニュースレター】~中古デジタル機器流通市場の動向を探る~第7回:メーカーが担う修理保守サービス事業の次の一手
オークネット総合研究所(所在地:東京都港区、理事長:佐藤 俊司)は、BtoB ネットオークションを主軸とした情報流通サービスを提供する株式会社オークネット(本社:東京都港区、代表取締役会長CEO:藤崎 清孝 代表取締役社長COO:藤崎 慎一郎、以下:オークネット)が運営し、独自の調査レポートなどを発表しています。当レポートは昨今注目される中古市場に関し、情報通信研究家・木暮祐一氏に取材・調査を依頼し、ニュースレターとして不定期で配信しているものです。
オークネット総合研究所(所在地:東京都港区、理事長:佐藤 俊司)は、BtoB ネットオークションを主軸とした情報流通サービスを提供する株式会社オークネット(本社:東京都港区、代表取締役会長CEO:藤崎 清孝 支持線 (しじせん) の意味 代表取締役社長COO:藤崎 慎一郎、以下:オークネット)が運営し、独自の調査レポートなどを発表しています。当レポートは昨今注目される中古市場に関し、情報通信研究家・木暮祐一氏に取材・調査を依頼し、ニュースレターとして不定期で配信しているものです。
個人・法人を問わず、パソコンやスマートフォンなどの情報システム機器を安心して利用する上で、万が一の故障時における製品保守体制の充実は欠かせません。情報システム機器を供給するメーカーは販売した製品の保守サービスとして万が一の故障時にどのような修理体制を整え対応しているのでしょうか。またそうした修理事業から今後どのような事業への拡がりが期待されているのでしょうか。メーカー系の修理拠点を取材してきました。
1. 即日修理を誇るパソコン保守サービスのライン
今回、パソコン等の修理保守サービスの実際について、NECパーソナルコンピュータ株式会社(以下:NEC PC)の群馬事業場を取材させていただいた。2011年にNECがレノボとパソコン事業における合弁会社を立上げ、その傘下の事業会社として誕生したのがNEC PCである。NEC PCは全国の営業拠点に加え、開発生産拠点となる米沢事業場(山形県米沢市)と、国内の保守サポート拠点となる群馬事業場(群馬県太田市)が稼働をしている。
<図1>NEC PC群馬事業場
この群馬事業場自体は歴史が古く、1984年に群馬日本電気(NEC群馬)としてPC-9801シリーズの開発・生産拠点として稼働を開始、1991年には世界初となるカラーノートパソコンの開発・出荷を行うなどの功績を持つ。2002年からはパソコンや周辺機器の診断、修理などを行うサービスサポート業務に転換している。
2014年からはレノボ製タブレット製品の修理を開始、2016年からは国内におけるすべてのレノボ製パソコン・タブレット製品の修理を対応している。また2021年からはモトローラ製スマートフォンの修理も行う。修理作業ラインのほか、修理依頼やユーザーからの問い合わせに対応するコールセンターや保守部品倉庫など、修理に必要な機能を全て同事業場内に備えている。
NECパーソナルコンピュータ株式会社 サービス事業本部 デポ&パーツオペレーション グループマネージャー・栗原一男氏よりご説明いただいた。
<図2>NEC PC群馬事業場の活動方針(栗原氏)
NEC PC群馬事業場は、群馬県南部で埼玉県との県境近くの太田市西矢島町に立地する。JR高崎線、上越新幹線の熊谷駅からも車で30分弱というロケーションである。事業場は87,805平方メートルの広大な敷地に4階建のオフィス・ビル、3階建の工場棟、平屋の部品倉庫の3つの建物が並び、ここに約550名(2022年4月現在)の従業員が従事している。
2002年より保守サポート拠点として稼働してきたこの群馬事業場では、パソコン修理に特化してノウハウを積み上げてきたことで、現在95%以上の修理依頼を修理センター到着後1日(24時間)以内に完了、出荷しているという。
栗原氏いわく、「ユーザーひとり一人と向き合い、速い・確実・判りやすい修理サービスを徹底的に追求し、その経験を蓄積してきた。保証期間内修理品や延長保証契約修理品については修理見積などの工程を省けるので、その徹底したオペレーションにより、修理センターでお預かりしてから1日(24時間)以内に95%以上の修理を完了できる体制を整えている」という。
パソコンの修理はかつて販売店を経由していたものも多かったが、昨今ではメーカーのコールセンター経由の相談を通じて、ユーザーからダイレクトに修理品を集荷し、修理後もユーザーに直送するスタイルが定着している。群馬事業場ではこのコールセンター業務も行い、修理の受付から修理品の引取り、修理、そしてユーザーへの出荷までを一貫して管理することで、迅速かつ確実な保守サポートを実現させている。 支持線 (しじせん) の意味
「実際には、午前中に修理品が着荷したら開封、添付品チェック、故障個所診断などを済ませる。あらかじめコールセンターで受付した時点で修理オーダー箇所を把握し、修理工程と連携させている。受付後は直ちに修理、部品交換、動作確認などを行い、清掃梱包の上、ユーザーの元へ出荷される。実際にはこれを当日中(8時間以内)に行っている」(栗原氏)
2. 着荷後当日修理・出荷を目指す工程の実際
工場内で行われている修理の流れを見ていきたい。ユーザーから依頼のあった修理品は配送事業者により朝8時半ごろから運び込まれてくる。着荷便が事業場に到着すると、まず開梱して付属品などのチェックが行われ、データベースへの受付入力を経てパソコン修理部門に回っていく。
<左図3>着荷受付
集荷された修理品はここで直ちに開梱され、付属品確認などが行われる
<右図4>チェックされた修理品をデータベース入力し修理部門に振り分けていく
部門別に色分けしたラベルが貼り付けられる
「NECが培ってきた入出荷のオペレーションを効率化し修理待ち時間を最小にするというノウハウは世界に誇れるものである。こうしたこだわりが日本においてはレノボ製品へも活かされている。保証期間内や延長保証契約品であれば迅速に修理に取掛れるが、修理見積が求められるものも着荷後なるべく迅速に故障個所を診断し、見積が確定次第ユーザーに連絡をする体制を整えており、その後直ちに修理に取掛れるようシステム化している」(栗原氏)
修理品には受付時に管理IDが付与され、現場では管理IDに付随した情報を確認しながら作業を進めていくのが一般的だが、作業者が伝票に記載される細かな数字を追うには手間がかかる。NEC PCではこれを効率化するために管理IDと作業者を紐づけた「棚番」と呼ばれる数字ラベルを見やすいように修理品に貼付け、作業をスムーズにしている。
<左図5>現場作業を効率化する「棚番」で管理IDを一目瞭然に 支持線 (しじせん) の意味
<右図6>棚番には担当者の作業者名も添えて分担を明確にしたものも
<左図7>修理ラインはメーカー別、修理品目別にエリアを分け、メーカー別に色分けされたプレートを表示
<右図8>預かった修理品の故障診断のライン
<図9>修理作業中のノートパソコン
<図10>不具合品から取り外したマザーボードも修理を行いパーツとしてストックするROMの交換のため、はんだごてを点検確認中
このNEC PC群馬事業場では、2021年10月から国内で流通する全モトローラ製スマートフォンの修理も開始している。モトローラといえば1928年に米シカゴで創業し、創業93周年となる老舗ブランドである。そのグローバルメーカーのスマートフォン端末が、国内向けのものはここNEC PC群馬事業場で修理対応が行われている。
モトローラ・モビリティ・ジャパン合同会社 サービス・デリバリー・マネージャー・永井朝衡氏にお話を伺った。
<図11>モトローラの歴史(永井氏)
「モトローラは1983年に世界で初めてハンディタイプの携帯電話を商用化したメーカーで、スマートフォンに関しては近年、MVNOや家電量販ルート、ウェブストアなどを通じて販売数を急伸させている。2021年度上期には世界市場で前年比出荷台数154%、日本市場においては161%となっており、販売数の増加と共に、日本のユーザーに対する保守サポート体制を強化する必要があった」(永井氏)
このため、アジアパシフィックでは中国やインド、香港などに管理拠点はあったが、日本市場向けにはコールセンターを福井に設置、そして修理センターをこのNEC PC群馬事業場に設けることとなった。一般コンシューマや法人顧客向けの修理対応のほか、販売代理店で初期不良などが生じた端末の再生修理(リファービッシュ)も行っている。
<図12>モトローラスマートフォン修理エリア
<左図13>モトローラスマートフォン修理もまず受付、診断からスタートする
<右図14>外観チェック、そして症状確認などを進めていく
<左図15>国内で流通するモトローラスマートフォンの修理部材がすべて揃う
<右図16>修理に必要な部材をピックアップして修理開始
<図17>パソコン等に比べると端末は小さくパーツも密であり熟練したノウハウが求められる
<左図18>修理が完了したパソコンは出荷作業へ移される
<右図19>最終チェックののちに梱包などの出荷作業へ
<図20>梱包され、配送事業者へ引き渡される
3. 修理拠点からCX戦略拠点を目指す
NEC PCでは、1日修理率95%を達成できていることの要因として、独自の修理品管理システムの適用により着荷および受付業務を効率化していること、独自の開発ツールの適用により診断および検査時間を短縮化していること、さらに部品配膳時間の短縮を図っていること、修理部品予測ノウハウにより在庫部品不足の改善を図っていることなどを挙げている。
2020年に感染拡大したCOVID-19により、テレワーク特需が発生し、コンシューマ向けパソコンの物量が増えると同時に、修理量も急増したという。一時は作業が追い付かなくなった時期もあったというが、作業者の能力向上の仕組みを整え、モチベーションを高めるための表彰制度を導入するなど工夫を行い、また老朽化により更新が求められていた修理部門のシステム刷新を行うなどし、コロナ禍による混乱は約1カ月で収束できたという。
また、わが国では全国の児童・生徒1人に1台のパソコンやタブレットを整備し学習に活用していくというGIGAスクール構想が2021年度から本格稼働している。こうした社会動向をにらみ、群馬事業場では2020年下期に修理エリアを拡張し、修理能力を1.3倍に引き上げている。一般のパソコン修理ラインとは別にGIGAスクールパソコン用の修理ラインも備え、故障発生に即時に対応できるような修理体制を整えている。
こうした社会動向に応じてパソコン等の情報システム機器の修理拠点として事業を推進してきたNEC PC群馬事業場。同社デポ&パーツオペレーション シニアマネージャー・石橋賢司氏によれば、CX(カスタマーエクスペリエンス)改善という観点から保有資産と人材を活用し、よりユーザーのニーズにフォーカスした高度なサービス開発・提供を行う「サービス マザー サイト」を目指すビジョンを掲げているという。
<図21>NECパーソナルコンピュータ株式会社
デポ&パーツオペレーション シニアマネージャー・石橋賢司氏
「2021年から、製品をあらかじめ顧客仕様にカスタマイズして出荷する、いわゆるキッティングを行う『Customer Fulfillment Service Room (CFS Room)』を稼働させてユーザー企業の需要を満たしている。GIGAスクール向けのパソコンを含め、多様な顧客ニーズに応え、納品先の要望に合わせて初期設定をした上で納品を行う業務である。キッティングではタブレットも対応し、保護フィルムを貼るなどの細かいニーズにも応える」
パソコンというハードウェアを納入するだけではなく、必要なシステムをコンシューマが求める状態にセットアップし、その後の保守体制を含めてパソコンを利用することをトータルのサービスとしてとらえ、その提供を目指している。多様なユーザー企業のニーズに応じて細かなキッティングのほかクラウドベースのプロビジョニングなどのカスタムセットアップを作業する体制をすでに整えている。群馬事業場で培ってきた修理のノウハウから事業領域を拡げ、製品出荷から廃棄に至る全体のライフサイクルを通したサービスを展開していこうというものである。
支持線 (しじせん) の意味
<図22>GIGAスクール専用のキッティングライン
パソコン等の情報システム機器を活用していく上で、万が一の故障等が発生するとユーザーの仕事の手を止めてしまうダウンタイムが発生してしまう。このダウンタイムをいかにして最小限にするかという工夫において、NEC PC群馬事業場の修理ラインは元開発拠点という強みを生かし継続的な改善の工夫により、良い意味で世界に誇れる日本企業ならではの高品質な管理体制やノウハウを培ってきた。
レノボとの合弁となったことで、このNEC PCの修理体制においてはレノボを唸らせた一方で、レノボはレノボならではのグローバルな知見と、グローバルレベルでのコスト管理のノウハウなど異なる強みを持っている。今回の取材を通じ、両社の融合が良い形で成果を出して品質を支え、コンシューマからビジネス領域まで安心して利用できる情報システム機器の保守までを含めた提供体制を構築していると感じた。
一方、コロナ禍以後で働き方が大きく変化する中、情報システム機器を使う環境や使い方自体の多様化が進んでいる。こうした変化するニーズに応じて、修理業務にとどまらず顧客のニーズに応じたカスタマイズなどのサービス提供までを事業ドメインとして拡張すべく様々な試みをしていた。昨今はパソコンの利用も「購入する」ものから「サービスとして利用する」ものへと変化しつつあり、実際にメーカーからサブスクリプションで提供されるパソコンなども登場している。修理事業で得たノウハウを顧客のニーズにきめ細かく対応したカスタマイズサービス拠点へと拡張させていくというビジネススキームは、パソコン修理業界以外でも広く適用できそうだ。
支持線 (しじせん) の意味
著者:木暮 祐一(こぐれ ゆういち)
情報通信研究家・一般財団法人情報法制研究所 上席研究員
黎明期からの携帯電話業界動向をウォッチし、2000年に株式会社アスキーにて携帯電話情報サイト『携帯24』を立ち上げ同Web編集長。コンテンツ業界を経て2004年にコンサルタントとして独立。2007年には「携帯電話の遠隔医療応用に関する研究」に携わり徳島大学大学院工学研究科を修了、博士(工学)。スマートフォンの医療・ヘルスケア分野への応用をはじめ、ICT の地域社会での活用に関わる研究に従事、各地の主要大学でモバイルやICTに関する講義を行ってきた。現在、総務省 地域情報化アドバイザーとして地方のDX支援に携わる一方で、一般財団法人情報法制研究所 上席研究員としてデジタル機器の情報セキュリティに関する動向をウォッチする。
【機械製図道場・上級編】表面粗さ等「表面性状」に関する表示方法を押さえる!
【筋目とその方向記号】
3.表面性状の図示方法
(下からまたは右から、読めるように)
(寸法補助線への表示)
《寸法線への指示》
《大半は同一仕上げで、部分的に相違する場合の簡略指示》
【例題】表面性状の記入
図のような軸の、各表面に対する要求事項を、表面性状図示記号を使って製図してください。
寸法数字は不要で、寸法線と寸法補助線まで記入してください。
《 例題の解説 》
表面性状の表示に関する周辺知識
① 引き出し線の使い方について
表面性状指示に限ったことではありませんが、引出し線を使う場合、部品形状を表す外形線から引き出すときは引き出される側に矢印をつけ、外形線の中から引き出すときは矢印ではなく黒丸をつけます。
合せて覚えておきましょう。
② 旧JIS表示との比較
ということで、今回は表面性状の表示について取り上げました。
表面粗さを必要以上に精度高く要求すると、加工に時間がかかり、場合によっては加工方法を変更する(切削→研削→研磨)必要が生じて、コストアップにつながります。
要求される機能・信頼性に応じた適切な表面粗さを指示するようにしましょう。
春を待つ手紙<下>第1回Reライフ文学賞・Reライフ読者特別賞受賞作品
[受付終了]気軽に話そう! 「Reライフ・サロン」を開催します 参加者にクオカード進呈
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Reライフコミュニテイ「読者会議」
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「偽りの自分」でいたらずっと成長できない。嫉妬心を消して「本当の自分」を手に入れる方法
みなさんはどうでしたか? 承認欲求を満たすために自分の能力を使っていることに気づけた人は、自分の能力を使って本当は何をしたいのか、何をすべきかを真剣に考えてください。もし思いつかなかったら、自分の能力を使ってどんな人を助けたいかを考えましょう。 自分のためではなく、やるべきことや誰かのために能力を使う思考にシフトしていくと、嫉妬心は消えていきます 。そして、嫉妬がつくり出す「偽りの自分」を手放すこともできるのです。
しかも、そのあとには、急激な成長につながることも。先にお伝えしたように、嫉妬しやすい人には能力依存の傾向が見られます。いわば、しっかり自分の能力は磨いているということです。その能力を、承認欲求を満たすためではなく、やるべきことや誰かのために使えたらどうでしょうか? もっていたポテンシャルが一気に花開くのも珍しいことではありません。
【秋山ジョー賢司さん ほかのインタビュー記事はこちら】
あなたが「不安」を手放せない2つの理由。不安を消せると言われる “あの方法” が実は間違っていた
紙とペンで進める自己対話が効果的。「不安だらけの自分」から「理想の自分」に変わる最強4ステップ(※近日公開)
【プロフィール】
秋山ジョー賢司(あきやま・じょー・けんじ)
1967年生まれ、東京都出身。エグゼクティブ・コーチ。経営者を中心に、元プロアスリート、能楽師など、業界の第一線で活躍するエグゼクティブらに向けて、ハイパフォーマンスを発揮するためのマインドセットを指導する。行動心理学、解剖生理学、生態学、マーケティング、コーチング、NLPなどを習得し、20年の歳月を費やし開発した「コアマインドプログラム」は、劇的な変化をもたらした受講者の強い支持を受け、受講希望者があとを絶たない。また、同氏の人気番組Podcast『経営者のマインドサプリ』は、累計500万ダウンロードを突破している。
【ライタープロフィール】
清家茂樹(せいけ・しげき)
1975年生まれ、愛媛県出身。出版社勤務を経て2012年に独立し、編集プロダクション・株式会社ESSを設立。ジャンルを問わずさまざまな雑誌・書籍の編集に携わる。
第29回:福島の今を知るツアー報告&飯舘村へ(前編)「福島の良いところも被害を受けて酷いところも知って欲しい」(渡辺一枝)
きっかけは、昨年の11月23日に福島県の須賀川シオンの丘で開催された「日本福音同盟」主催の「JEA宣教フォーラム21」だ。この集会に私は、講師の一人として参加した。「〜これまでのフクシマと、これから〜」のタイトルで、ピアニストの崔善愛さん、元朝日新聞記者の本田雅和さんと私が発言者として招かれていた。その時もまた私は、今野寿美雄さんに同行をお願いしていたので、集会関係者の方たちに今野さんを紹介した。そして、このタイトルでの集会では今野さんこそ発言者としてふさわしいとなって、今野さんも発言をした。私は自分の発言の中で新聞やテレビでの報道では判らない現実を、現地を訪ねることで知ってほしいと話し、今野さんは被災地ツアーをするなら案内しますと言った。
今年になって、集会の事務局を担当されていた会津聖書協会の高橋拓男牧師から、被災地ツアーをしたいので協力をしてほしいと依頼があった。参加者は十数名でシオンの丘から日帰りでという希望だった。今野さんにその旨を伝えた。訪問先は双葉町の「東日本大震災・原子力災害伝承館」と浪江町請戸に絞った。須賀川から日帰りでは、それで精一杯だろうからだ。
参加者は県内外各地からシオンの丘に集合し、そこからマイクロバスで現地に向かうという計画で、今野さんも私も、当日はシオンの丘に9時集合だ。
まずは大熊町へ
当日は郡山駅で今野さんにピックアップしてもらい、シオンの丘へ向かった。出発してすぐに簡単に各自自己紹介をした。車内にはマイクが備えられてなかったので、右耳難聴で左耳しか機能していない私にはよく聞き取れなかったが、神奈川、東京、仙台、県内各地から参加されていた。参加者は15名で、それに今野さんと私、マイクロバスの運転手と、総勢18名だった。
五月晴れの爽やかな青空に鯉のぼりが泳ぎ、早苗田に日光が照り返す。自生の藤がそこらの樹木に絡みついて薄紫の花を重たげに咲かせている。また同じ色で桐の花も咲く。里桜が八重でぽったりとした花を、枝いっぱいにつけている。ツツジが赤く咲き、原っぱはタンポポが一面に黄色い花冠を空に向けていた。
バスは通称「ニイパッパ」と呼ばれている国道288号線を通って、田村市の都路町地区を抜けて大熊町に向かう。前の座席に座った今野さんは都路を通過するときに後ろを向いて立ち、「原発事故後ここは警戒区域に指定された地域だが、2014年4月1日に指定解除された」と説明した。私は避難指示解除後に雑誌『たぁくらたぁ』の取材で、1軒の農家を訪ねたことがあった。あのときに話を聞かせてくれた田中さんはどうしているだろう。
田中さんは、被災前にはお父さんと共に、米作のほかに大きなビニールハウス数棟でトマトを作っていた。味が良いのが評判で都内の有名レストランなど固定客が多くついていて、品種や栽培時期などを工夫して一年中いつでも新鮮なトマトを出荷していたと言った。取材では、原発事故後警戒区域に指定されてからの苦難を話してくれた。指定解除になって戻ってくるまでの間に赤ちゃんが産まれて、その子はまだ1歳のお誕生日前だった。トマト農家として再生を目指しながらも、果たして地域は安全な場所なのかを苦悶していた。農家の後継として、そして幼子のお父さんとして、悩みに悩んでいる様子だった。
今野さんは「窓を閉めてください。ここからは高線量地域に入っていきます」と注意を促し、バスは大熊町に入った。参加者のお一人で福島市のパプテスト派教会の大島博幸牧師が、持参の線量計を出してスイッチを入れた。空間線量0.3マイクロシーベルトになると警戒音を発するように設定されていて、すぐにもピーピー鳴り出した。やがてピピピピと間断なく鳴り出したのは線量が高くなったからだった。大島牧師は「0.5、0.6……」などと線量計に掲示される数値を読み上げながら「車内でもこれだけですから外はもっと高いでしょう。場所によって、風向きなどによっても変化しますが、多少上下はあっても危険区域です」と皆に言った。
やがて大熊町役場や復興住宅などが見えてきた。今野さんは「ここは大川原地区といって大熊町の復興拠点です。あの黒い建物は町役場でその向こうの住宅は復興住宅です。これらの建設に35億円がかかりました。役場に27億円、住宅に8億円だそうです。復興住宅は50戸くらいありますが、全部埋まっています。ここは元々の町民たちが入っていますが、高齢者しかいません」と説明し、バスは住宅の周囲をぐるりと回って、役場の前にある商業施設の「おおくまーと」の駐車場に停車した。トイレ休憩だ。
「おおくまーと」には、隣接して宿泊や温浴施設、ホールや会議室のある施設が営業していた。その向こうに工事中の場所があり、大きなクレーンが見えるのを指して今野さんは「学校をつくっています。小中併設校です。子どもたちは現在は避難先の会津の学校に行っていますが、来年度ここができても、子どもたちは戻ってくるでしょうか?」と言った。
以前に私は大熊町役場に置いてあった「学び舎 ゆめの森」と題されたパンフレットを入手していたが、そこは0歳児から受け入れる子ども園と義務教育学校を併設した、とても凝った設計の建物になるようだった。校歌は谷川俊太郎さんが作詞し、息子の谷川賢作さんが作曲している。ここと同じように認定こども園と小中学校を併設した飯舘村の学校では、制服がコシノジュンコデザインだ。「なんだかなぁ!」と思う私は、根性が曲がっているのだろうか? 子どもたちが健やかに育つ環境こそ大事だと思う。土を掘ってダンゴムシを見つけたり、どろんこを捏ねて硬い泥団子を作ったり、森の中でカブトムシを見つけたり木登りしたり、野の花や草笛で遊んだり……。そんな環境こそ大事だと思うけれど、ここもまた除染したとはいえ、そんな環境には程遠い。
トイレ休憩を終え、またバスに乗り込むとすぐに土地を造成中の場所が見えた。そこは企業を誘致して工業団地にする予定地だという。道路を隔てて役場の向かいに立っているのは東電社員の独身寮だ。家族寮は別に在り、だがそこには家族で暮らす社員はおらず、皆単身赴任だ。国、県、町はこの大川原地区をコンパクトタウンとして、住民の呼び戻しと新たな居住者の呼び込みに使おうとしているのだ。私には敗れた国の汚染された山河に人を住まわせて、無理矢理に国を繕い直そうとしているようにしか思えない。
国は帰還困難区域に指定した地域内の復興拠点地域について、大熊町、双葉町、葛尾村は今春中に、浪江町、富岡町、飯舘村は2023年春に指示解除の方針で、除染とインフラ整備に当たっている。そして解除の1年前から、各地の準備宿泊制度を設けている。一体どれほどの人が戻るというのか。指示解除されても、これまでの例から推測して、行政区の元の人口の1割に満たないほどしか戻らないだろう。もっと人口増があるように喧伝されていても、それは作業員など他地域からの移住者であったりする。かつては大熊町で一番賑わっていたであろう大野駅周辺は、寂しい限りだ。帰らないと決めた人たちは、国が費用をもつ期限内に自宅の解体申請をしたから、そこここが更地になっている。ポツリと残っている家屋は11年もの間無人だったから、荒れて廃屋状態だ。その廃屋に薄紫の藤の花が咲き、更地になった住居跡には濃紫の三寸アヤメが咲いていた。
こんな侘しい大野駅周辺だが、駅舎は真新しく立派だった。ここには特急「ひたち」も停車するが、折しもちょうど、その特急「ひたち」が停車し、そして上野に向かって発車していった。下車した人は居なかった。ここからは見えなかったが乗車した客もいなかっただろう。駅前には何台かのタクシーが停車していて、「観光タクシー」のポール看板が立っていた。運転席に運転手の姿は見えなかった。きっと看板にある電話番号で呼び出すのだろうが、どのような観光ルートを回るのか、興味深く思った。
大島牧師の線量計は警戒音を発し続けている。読み上げられる数値は、「0.6、1.2、2、4(マイクロシーベルト)」と上がっていった。更地になった場所を指して、今野さんが言った。「ここは冨沢酒造という酒屋さんがあったところです。江戸時代から300年続く造り酒屋で銘酒『白富士』を作っていました。店の人たちは震災後米国シアトルに避難しましたが、酒蔵の酵母が活きていたので、今は避難先のシアトルで伝統の『白富士』を復活製造しています」。驚くような話に車内には「ほぉっ」と声があがった。
北上する窓の外には、屋根の片側が地面について傾いた、11年前の地震の被害がそのまま残る家屋、屋内のカーテンも障子もズタズタに破れて屋根の上まで蔓草に覆われた廃屋などが見える。今野さんは「見てください。これが11年目の福島です」と言い、窓ガラス越しに写メを撮る人もいた。
復興シンボルロード
「東日本大震災・原子力災害伝承館」へ
伝承館の駐車場にバスを停めて、まずは伝承館に隣接する「双葉町産業交流館」のフードコートで昼食。18人の集団で時間も限られた日帰りツアーなので、フードコート内の「せんだん亭」に今野さんが予めパック入りのなみえ焼きそばを注文してあった。ツアーガイドの今野さんは、このなみえ焼きそばについても参加者に説明をした。「元々B級グルメとして人気はあったのですが、震災後に被災地応援の意味もあったのでしょうがB級グルメグランプリとなりました。麺は太いですが、うどんじゃないですよ」。その言葉にみんな笑いながら美味しく食べて、建物屋上に向かう。
屋上からは太平洋が望めて請戸漁港も見えるが、逆側に目を向ければ、双葉町の中間貯蔵施設が顕に見える。黒いフレコンバッグが並べ置かれている様、フレコンバッグを汚染度によって仕分ける施設、仕分けたフレコンバッグを一時保管する施設などが見える。中間貯蔵施設のここに30年貯蔵して、その後、どこに持って行けるというのだろう? 聞くたびに、見るたびに、「嘘つけ!」とはらわたが煮え繰り返る。
そして次はいよいよ「東日本大震災・原子力災害伝承館」へ。ここについてはこれまでの「一枝通信」で何度も書いてきたので省くが、今回参加した人の感想「津波の被害についての展示が多かったですが、原発事故についてはあまり触れられてなかったです」が、全てを表していると思う。
請戸・大堀、そして帰路へ
請戸小学校震災遺構を見学してから、2011年3月11日の地震で顕になった断層を見にいった。そこははっきりと断層があることが見て取れる。道路の左右の車線を分かつ黄色い線がぶつりと途切れて、1.5メートルほどもそれがずれている。地盤も沈下している。地震列島に住む怖さを、改めて思う。
更地の街になった浪江の商店街跡を抜けて浪江の道の駅へ。ここで買い物タイム20分。
そこから大堀地区を抜けて一路須賀川へ。大堀を通るときに今野さんは、先日の千葉訴訟(原発事故後に千葉県に避難した福島県の住民たちが、国と東電に損害賠償を求めて起こした裁判)上告審で、原告で92歳の小丸哲也さんが意見陳述をしたことを話した。
4月15日の最高裁でのこの裁判には、私も傍聴に行った。傍聴券の抽選には漏れたが、報告会で法廷の様子を知った。小丸さんは意見陳述で、次のように述べた。
「国は多額の交付金を大熊町・双葉町に出し、東電への設置許可を与え、原子力発電所を建設したのですから、理屈なしにこの原発事故は国の責任と考えます。国は原子力発電所を監督する為、経済産業省から保安検査官を派遣しました。そして、国も東電も『原子力発電所は絶対安全・安心』という安全神話を、莫大な経費を使いあらゆる媒体を通じて、地域住民に対し40年間言い続けてきました。この『絶対安全・安心』を大前提として、国と東電は、防潮堤を造らず、津波対策を行わないという判断をしていたのですから、東電の責任は当然のことながら、国の監督責任は重大であると思います」。最高裁の4名の裁判官たちは、しっかり耳を傾けていたという。
帰りの車内では、私も2011年夏から福島に通い、そこで聞いてきた被災者の声と私自身が感じてきたことを話した。また参加者たちからのツアーの感想もあった。高校生の参加者もいて、「叔父さんに誘われてきましたが、メディアの情報ではわからないことをたくさん知ることが出来て良かったです」と言い、また彼を誘って参加した阿部信夫さんは「今は神奈川に住んでいますが出身は福島県ですから、原発事故は我が事です。今日は甥を連れて参加しましたが、彼には福島の良いところも被害を受けて酷いところも知って欲しくて、昨日は会津の綺麗な風景を見せて温泉にも行ってきました」と話してくれた。
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